阪神大震災の当事を考える

カテゴリ:ブログ 住宅

今日は阪神大震災から15年です。

その日、私は東京にいました。まだ、駆け出しで、会社まで歩いて10分のところに住んでいた(実家)私は、いつもの様に家を出る20分前に起きて、テレビをつけて、仕事に行く準備をダッシュでしていました。普段は、テレビはろくに見ている訳でもないのですが・・・

しかし、その時、テレビから流れる音を聞いて画面に目をやって、しばらく止まりました。

『ありゃ・・・。大変なことになってるねぇ・・・。』

その時の感想はこんなもんでした。

実際に東京では、朝の朝刊に震災の記事が出るわけも無く、朝、テレビを見てない人、ラジオを聴いてない人は、震災があったことを会社で知らない人も沢山いました。当時は携帯も殆どの人が持っていませんでしたし(持っていてもせいぜいポケベルだったかな・・・)、インターネットはまだありません。(Windows95が出るのはこの年の暮れです。)

私には神戸市東灘区に父の兄夫婦と従兄弟3人が住んでいました。震災の大きさが解らなかった私はとりあえず、テレビを見た直後に電話したのですが、繋がりませんでした。(回線パンクのためか・・・)何回か電話したのですが繋がりませんでした。すでに会社に行かなければならない時間は過ぎていたのですが、慌てて両親に電話しました。私の両親は当時、アメリカ合衆国のボストンに住んでいました。(今もですが・・・)私の母がボストンから神戸に電話すると何故か繋がりました。解ったことは、叔父と叔母、それに従兄弟3人のうち、2人は健在ということでした。従兄弟一人は港で夜勤で帰れなくなり、後に無事であることがわかりました。

私は震災から2ヶ月間で2度神戸に行きました。

まだ、高速道路が横たわっていました。

道路が隆起し、建物は被害のない建物を探すことが困難なぐらいでした。

私の従兄弟のうち、一人はその年の2月に結婚をする予定でしたが延期となりました。

結婚式場となるホテルは隣の建物に寄りかかっていました。式に参列するはずだった、友人や会社の同僚も何名か亡くなりました。

私の良く知っている、ある会社の社長(当時は専務)は家がめちゃくちゃになり、子供を助けようと思って眼鏡を探したけど、眼鏡がどこかにいってしまい、とんでもない苦労をしたそうです。明るくなって、スペアの眼鏡をなんとか見つけて部屋を見渡すと、テレビが置いてあった反対の壁に刺さっていたそうです。その方は近視では子供も助けられないと言って、その年にまだ、日本では珍しかったレーシック手術を受けました。

今、私たちは大きな災害に備えているでしょうか?

あなたの家には火災報知機はついていますか?

※東京では本年4月1日より住宅の各寝室は設置義務があります。

今日は、あちこちの番組等で震災のことを放送したりすると思います。

「そんなこともあったね。」

で終らせるのではなく、自分が震災に遭った時の備えがあるかを確認してみてはいかがでしょうか?

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