宮下公園の命名権と地上げの苦い思い出

宮下公園をご存知でしょうか?

※みやしたこうえん:渋谷区神宮前にある公園です。杉並区宮前にも同じ漢字の公園がありますが、この公園は『みやしもこうえん』と読みます。

渋谷から明治通りを原宿方向に歩くと山手線沿いにある細長い公園です。命名件売却で知っている方もいるかもしれません。

東京にお住まいじゃない方にはなじみの薄い公園だと思うし、東京に住んでいても宮下公園そのものに行ったことのある方は少ないと思います。ただ、渋谷ではちょっとしたシンボルでもあるので、渋谷から神宮前方向に買い物に行ったりするとその脇を通ったりするので知っている方も多いと思います。1980年代ぐらいまでは渋谷のちょっとしたデートスポットだったりしたのですが、最近ではそういう雰囲気の場所ではありません。

何故かと言うと・・・ホームレスの方の家?が建ち並んでいるからです。ブルーシートで覆われた簡易なものから、かなり立派なものまであります。

それが、最近になって渋谷区が宮下公園の命名件を売ったということで有名になりましたが、その公園の命名件料が公園整備に当てられるそうです。

「ナイキに命名権」の渋谷・宮下公園、整備イメージが明らかに

しかし、まさか『ナイキ公園』なんて名前になるのでしょうか・・・。

この公園ですが私にはちょっとだけ悲しい話があります。

これは宮下公園のそばに住んでいて、今でもすぐ近くに住んでいる方から聞いた話です。

(地上げをしていて、仲良くなった地元の方から聞きました。)

この公園はそもそもは東京都の都市計画で1930年に出来た公園です。この頃の渋谷はというと・・・まさに忠犬ハチ公の時代ですから、完全な住宅街だったはずです。宮下公園の周辺も例外なく住宅街だったそうです。

当時は宮下公園の脇を渋谷川(今では地下を通っていて渋谷の南口のところから、また地上に顔をだす川です。)が流れ、その公園と渋谷川に小さな店舗併用住宅が並ぶ静かな町だったそうです。

しかし、太平洋戦争末期になると、当時、山手線が重要な軍事物資を運ぶ鉄道だったそうです。鉄道の周りに住宅があると、光が漏れて夜に空襲の対象になり、また空襲に会うと火事になって鉄道が使えなくなるということから、宮下公園の周りにあった、家は強制的に明治通りの反対側に移動させられたそうです。しかし、引き屋が動かしたというから驚きです。

※引き屋・・・家を土台から持ち上げて動かす商売の人

当初はみんな、嫌がったそうですが、結局、戦時下で逆らうこともできず家ごと疎開したみたいな格好になったそうです。しかし、それでも線路付近は空襲され、家ごと疎開したことで助かった方が多かったということです。

しかし、その宮下公園から運んだ最後の家も、一昨年、壊されてしまいました。

住んでいた方が老人ホームに入ることになり、売却してしまいました。

それを買って壊した張本人です。

ちょっと、罪悪感を感じた地上げでした・・・。

老人ホームにいる方が幸せと本人が言っているので・・・

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