リストラ ~第2話~
最近、あるゼネコンのS課長とこんな会話がありました。
「Sさん、課長昇進、おめでとう。」
「いえいえ、お恥ずかしながら。まぁ、ここまでは年功序列でなれますから・・・」
「Sさんは課長になられて、何課を任されるんですか?」
「いえ、何課もないですよ。営業2課は変わらないです。部下はいません。営業2課に後輩はいますけどね。だから、昇進しても人事的には何も変わらないです。」
「じゃあ、営業2課には営業2課長だった、NさんとSさんの二人の課長がいるんですか?」
「いえいえ、Nは今回の人事で部長になりました。だから、営業2課長はN部長です。」
この会話で違和感を感じない方はいないと思います。
課長というの『課のトップ』で部長というのは『部のトップ』のはずです。
しかし、役職を上げても実際には部下もいない課長がいっぱいいるのが企業です。時々、主査とか上級主査というような役職がある企業がありますが、役職で課長だと『課のトップ』の様に対外的に思われてしまうので、よく解らない役職を作っているのかもしれません。
企業が大きくなる過程で例えば創業者1人が成功して、2期目で2人、3期目で3人、4期目で5人・・・と毎年1.5倍ずつの社員を雇用していっている間は会社組織の人口ピラミッドがちゃんと成立しているので、人事的にも上手くいくかもしれません。
しかし、企業がある一定規模以上になれば、壁にぶつかります。また、会社の経営状況が悪化すれば、雇用を拡大することは難しくなります。その時点で会社組織のピラミッドが崩壊しはじめます。特にバブル崩壊後にその様な会社は多かったと思います。平成初期に入社した社員はその後、殆ど雇用がされない為に10年間、部下どころか後輩すらいない。そして、少しずつ雇用を開始したものの、部下よりも上司の数の方が多いという人は沢山いたはずです。
当然ですが、企業もそんな簡単には人員整理はできないのでその状況を変えることができません。余った人材は大企業で子会社がある様な会社は子会社に行かせることも可能です。銀行だったら、融資先の企業に出向させて、出向先の会社の社員にすることもあります。そして、官僚だったら天下りという道を準備します。そうやって代謝を図るしかないのでしょう。
ところが中小企業や新興企業はそういう訳にはいきません。子会社も出向先も天下り先もないので、苦しくてやっていけなくなると給料の高い、高年層の余った人材からカットすることになります。
さらに酷いのが生産調整を行う際の現場労働さ者の人員削減です。その為の調整弁が派遣労働者だったのはここに書くまでもないことかもしれません。よく、言われることで
「正社員と同じ労働をしているのに派遣社員だけ、解雇されるのはおかしい・・・」
おかしいようですが、将来、会社の管理職、行く先は経営を担ってもらおうと考えている社員(もちろん、その中の一部しかなれませんが)を契約社員と同様に解雇する訳が無い理屈はわかりきっていることです。
しかし、この社会構造もしくは会社組織構造は破綻の序章なんです。すでに組織のピラミッドが崩壊し、生産人口よりも管理人口が多くなればその企業が企業活動を維持できるわけがありません。それを回避する為に何を企業はしなければいけないかをよく考えるべきでしょう。
H建設の話に戻ります。
M部長はR社長に呼ばれました。
「来年、もしくは再来年の役員人事では君を新役員に推薦するよ」
私は別件でM部長と一緒に呼ばれていました。その社長の言葉を聴いたときに私は少し疑問に思いました。
『なんで今年の役員人事で役員にしないんだろう・・・?』
その頃の私は社内の派閥のことをよく解っていませんでした。その後、数年してその時のことを理解できました。
その内に創業者であるH会長が病気で倒れました。そのまま、会長職を辞職されました。
そして、ある日、H元会長が亡くなったという話が飛び込んできました。
H元会長は創業者ですから、当然の様に社葬が行われました。しかし、そのことが人事に大きな影響を与えることに私はまだ気が付いていませんでした。
翌年の役員人事では大きな改革が行われました。
まず、A専務が会社を去ることなりました。理由はよく解らないまま、A専務は朝礼で
「これからは自分のやりたかったことをやろうと思います。」
という発言でした。
私はR社長からA専務に社長職が禅譲されるものだと思っていたのでビックリしましたが・・・
A専務はH元会長の実子ではありません。H元会長は創業者ですから、大株主でもありました。H元会長が亡くなったことで、その株主の権利は必然的に奥さんと養女に相続されました。(H元会長には実子はなく、養女がいました。)
つまり、実子でないA専務をH元会長の奥さんが追い出してしまったわけです。
また、それに伴って3人ほどの役員が退任しました。
R社長派と思われる3人の役員が退任、そして、R社長の友人である、H元会長の死去によってR社長は完全に孤立してしまったわけです。
その年の9月中旬に私はM部長に呼ばれました。
話の内容は・・・異動でした。
その会社に於いて、技術部門間の異動は大変珍しかったのですし、技術部門から営業部門への異動は部長クラスでしかありませんでした。
ところが私は営業部門への異動でした。
「相澤、10月から営業企画部に行ってくれないか?」
しばらく、黙っていた私に・・・
「相澤がいらないと言ってる訳じゃないんだ、営業企画部のS部長たっての頼みでな・・・」
「で、M部長はそれに応諾されたのですか?」
「いや、本人に確認してからと言ってある。」
「それで、『行ってくれないか』ということは、やはり、M部長は私がこの部にはいらないと・・・」
「いや、相澤をいらないなんて言っていないだろ。いろんな事を若いうちに経験をだな・・・」
如何にも歯切れが悪い言い方でした。
「私はサラリーマンです。サラリーマンは行けと会社から命令されれば、それに従うのがサラリーマンだと思っています。だから、これが命令であれば私は行きます。」
「では、命令だ」
あっさりとしたもんでした。
私は10月から営業企画部に異動になりました。
営業企画部のS部長はA専務に非常に可愛がられている部長でした。
その異動の意味を知るのにそんな長い時間は掛かりませんでした。
次回に続きます。
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