リストラ ~第5話~
アメリカ合衆国の失業率が9.7%に達しているというニュースが出ていました。それに比べれば日本は『まだまし』と思う方が多いかもしれません。しかし、これは、何を持ってして失業というかが日本とアメリカでは違うからです。日本の場合は就職活動を断念してしまった人を失業者とは言いませんし、何より大きいのが中小企業安定助成金制度でこの制度を利用している対象労働者が約300万人います。日本の失業率が5.7%で360万人の失業者がいるのですが、実際には10.4%の人が失業している計算になり、すなわちアメリカ合衆国よりも失業率が高いことになります。
さて、M部長のリストラの続きです。
私は、S部長との忘年会の後の飲みで、どうやら、M部長の意向によって技術部門から異動になったことを知るのですが、そのころのM部長のいた技術部門は私が居なくなったこと以外はあまり変わった様子はありませんでした。
忘年会の後も淡々と時間が流れていくのですが、私が異動になった翌年の年の2月~3月は久々に会社が活気付いていました。バブル崩壊後、久々に売上げが大幅に伸びていたのです。まだまだ、景気回復が本格化する前ではあったのですが、前年、前々年に比べれば明らかに売上げが伸びてきていました。
そこに来て3月の終わりごろに全社員集合の緊急朝礼を行わんれました。
私たちは、
「売上げが相当、伸びてるらしいからな!期末の特別賞与が出るって話だぞ!」
というような浮かれた噂が飛び交いました。
その時に私も、強ち本当になるかも・・・と思っていました。
しかし、朝礼での話はびっくりしました。
まずは、R社長の話です。
「これまで、皆さん、良くやってくれました。今年は久々に増収増益なりました。先代の社長から社長を任され、先代には『なんとか会社を守ってくれ』と言われて、必死に守ってきました。しかし、これで私の仕事も一段落したと思います。私はご存知の通り、先代の社長に呼ばれてきた余所者ですから、ここらで社長を辞して、本来のH建設の人に跡をついでもらいます。私が社長でいるのは今年の6月までですが、気を抜かずに頑張ってください。」
ちょっと、ビックリしましたが、その時は何よりも
『だれに禅譲するんだろう?』
という疑問が先立ちました。
そして、今度はH元会長(故人)の養子であるH取締役総務人事部長がR社長に替わって話し始めました。
「今年は、ここ10年間の中でもかなり、立派な成績を上げることができました。しかし、勝って兜の緒を締めろとも言います。そこで、H建設は今後の発展の為に独自の商品や技術を開発する部署を新たに創設したいと考えています。現在、部署名と人選を行っています。」
と、H取締役が言ったことは覚えていますが、R社長の引退宣言の方のショックが大きくて、何も感想はありませんでした。
後に二人のこの言葉が私の人生を大きく変えていくことは、その時は全く気が付きませんでした。最も気が付いたから、どうなるものでもなかったのですが・・・。
朝礼が終って自分の席に戻って、あることを思い出しました。
R社長がM部長に言った
「来年、もしくは再来年の役員人事では君を新役員に推薦するよ」
です。
『R社長が引退したら、M部長を役員に推薦することできなくなっちゃうよな・・・。ということは、なんらかの形で役員には残るのかな・・・』
などと、考えていました。
ボケ~っと、お茶を飲みながら、そんなことを考えていると、S部長から
「相澤、一緒に役員会議室に行くぞ」
と言われました。特に呼ばれる理由も無かったとは思ったんですが、無論、断ることはできず、そのまま、S部長と一緒に役員会議室に入りました。
この頃は役員会議室に入るのは、掃除当番以外で入ったことが、まだ4,5回だったので相当に緊張しました。
次回に続きます。
ダラダラ書いているけど・・・
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