急行能登 夜行列車にて鉄子の部屋
上野発の夜行れ~~っしゃ、降りたとき~から♪
あぉ~も~り駅は雪~の~なか♪
あ、青森駅じゃなかった・・・金沢駅だ・・・
うちの社員に北陸の出身者がいます。
※自称美人社員・・・つまり、女性社員です。
昨年のGW頃、その自称美人社員が・・・
「友人が地元に帰ってくるんで会うんですよ。ただ、時間が無いので夜行で帰ろうと思いまして・・・」
『夜行・・・?』
随分と懐かしい響きでした。
私は、30年程前まで山口県下関市に住んでいました。父の実家も母の実家も東京ですが、父の仕事の関係で下関市に住んでいました。
なぜ、その時、父と妹と東京に向かったのかは記憶にありませんが、私はまだ、小学校にあがる前で、私よりも2つ下の妹と父と3人でした。私には5つ下の弟もいますが、弟が一緒にいなかったので、おそらく、私が5歳になるかならないかだったのだと思います。
その時に乗った寝台車が私の最後の寝台車に乗った記憶です。
なにせ、新幹線が1975年には東海山陽新幹線が博多まで開通しますから、その後は新幹線を利用していました。ですから、初代(0系?)の新幹線に乗った記憶は随分あります。
夜行寝台のベットに父親の両脇に私と妹が所狭しと寝ました。
どこの駅だかは忘れましたが、小さな車窓から、その駅を見て、
『長いこと停まっているなぁ・・・』
と思ったことだけを覚えています。
さて、夜行という響きに懐かしさを感じて、社員にいろいろ聞くと・・・
その夜行は『急行能登』という列車だということが解りました。
「学生の頃はお金も無かったし、随分と使ったんですけどね。今は新幹線で越後湯沢経由ですね!でも、女性専用車両があって、意外に便利なんですよ!女の子でも安心です」
「じゃあ、女の子女性にはいいね!」
「感じの悪い言い方だ・・・」
と、言って、乗って行きました。
結果は・・・
「相当、疲れました。」
でした。
しかし、その急行能登が今晩でラストランだそうです。
そうすると、今日になって、その社員が・・・
「あ~、最後に乗りたかったなぁ・・・」
と言い出しました。
良く解ってない私は・・・
「ん?上野発があるんだろ?乗ってくれば?」
「へ?乗れるわけないじゃないですか!?」
「なんで!?」
「鉄道ファンで予約いっぱいですよ!」
「ん?でも、女性専用車両あるんだろ!そこなら・・・」
「あっ、そうかもしれませんね」
「鉄子の部屋だったりして・・・」
「嫌だ・・・。そんなのに乗りたくない・・・。そんな、徹子の部屋違いだ・・・」
などと、くだらない冗談話をしました。
その社員の父親が先日、東京に来て、わざわざ、急行能登で帰ったそうです。
私の父も急行能登ではないですが、随分と夜行に乗って下関に行ったそうです。
団塊の世代やそれ以上の方が、高度経済成長期の中で、夜行に乗って日本を縦横断し、働いていたんだろう・・・と思うと、夜行列車が無くなると言うことが、日本の経済成長の終焉を見ているような気がして、切なくなりました。
では、その自称美人社員・・・通称鉄子が撮った写真を・・・
恐らく、弊社の鉄子も泣いてるから・・・
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