木村拓也コーチ死去
くも膜下出血のため広島市内の病院に入院していたプロ野球巨人の木村拓也(きむら・たくや)内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、死去した。37歳だった。宮崎県出身。葬儀などは未定。
同コーチは2日、広島市のマツダスタジアムで行われた対広島1回戦の試合前、グラウンドでノックをしている最中に倒れて救急車で搬送され、危険な状態が続いていた。
宮崎南高から1991年、捕手としてドラフト外で日本ハムに入団し、翌年外野手に転向。95年広島、2006年巨人に移籍した。投手以外の全ポジションを守れる貴重なユーティリティープレーヤーで、俊足のスイッチヒッターとしても活躍した。
昨季限りで引退し、コーチに就任した。現役通算成績は1523試合で1049安打を記録し、打率2割6分2厘、53本塁打、280打点、103盗塁。04年アテネ五輪代表。
出典:時事通信
回復することを本当に願っていました。
木村拓也コーチが選手地代に、巨人に来たとき、当時、巨人に在籍していた小久保選手(現ソフトバンクホークス)が怪我で出れなくなくなり、当時の巨人の内野陣は、サード小久保、ショート二岡、セカンド仁志、ファーストイ・スンヨプ、その他に外国人のディロン、それに川中というような布陣でした。
ディロンは腰痛で、殆ど活躍できず、仁志もこの年から衰えが見え始めます。
それでも、新加入のイ・スンヨプが信じがたい活躍を見せ、二岡も額面通りの活躍をしていました。これで小久保さえ・・・というような時に小久保が怪我で外れます。
小久保の戦線離脱により、6月に8連敗、7月にも9連敗するなど、守備面、小技面で総崩れとなります。
そんな時に当時、広島の二軍にいた木村拓也選手がトレードでやってきます。
そのニュースを聞いたときにはびっくりしました。
木村拓也選手と言えば、広島時代に足も速く、スイッチヒッターで守備もうまい。そんな選手をよく広島が放出したな。と・・・
当時のニュースではブラウン監督(現楽天監督)のチーム方針である若返りなどから、ずっと二軍にいて、戦力構想外だった。というから驚きでした。
この年こそ、巨人は5位に終わりますが、2007年から、木村拓也選手が殆ど一軍に定着。ウィークポイントだったセカンドを木村拓也選手に任せ、さらには、どこでも守れる安心感もありました。出場していないときは、最後の最後に殆ど選手が出尽くしているときには
「まだ、キムタクがいるだろ!」
と、ライトスタンドで声が上がることもありました。
2008年も『困ったときのキムタク』は健在でした。
この年、小笠原が故障がちでキムタクがクリーンナップに入ってホームラン、さらには延長9回に大道の代打ホームランでツーアウトから追いついたと思ったら、今度はキムタクが延長12回にサヨナラ逆転タイムリー!
もはや、神がかり的な存在になっていました。
2009年は交流戦前ぐらいまでは、やはり木村拓也選手の存在が大きかったのですが、後半はベンチが多くなり、やや存在感が無くなり始めました。
しかし、加藤捕手がデッドボールで退場すると巨人のベンチにキャッチャーはいませんでした。
その時にキャッチャーを木村拓也選手がやったシーンは、今日、再三テレビに出ているとおりです。
2010年もエドガー・ゴンザレスがイマイチピリッとしない時には
『キムタクさえ現役ならばなぁ・・・・』
と思っていた矢先の出来事でした。
若い頃は玄人好みの選手でした。
しかし、選手としての晩年は決して、いぶし銀という様な輝きの無い存在ではなく、華やかな場面も多々ありました。
東京ドームで見た、木村拓也選手・・・忘れません。
合掌
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