金貸し屋嫌い1
私は銀行が嫌いです。
と・・・いきなり、なんの話をしだすかと言うと・・・
不動産と金融機関というのは切っても切れない関係です。しかし、私は過去に2度程、銀行に辛い目に遭わされたことがあります。
一度目はまだ、日本がバブル崩壊後の苦しみに喘ぐ平成9年のこと・・・。二度目はやっとバブル崩壊から日本が立ち直った平成16年のことです。
平成9年のとき、私はまだ、不動産の仕事はしていませんでした。
あるハウスメーカーで積算や購買関係の仕事をしていました。
その頃の住宅需要の落ち込みは戦後最大と言われて(今の方が遥かに酷いですが・・・)、各ハウスメーカーが悲惨な状況でした。昭和の時代には、大ハウスメーカーと言われた、殖産住宅、太平住宅が相次いで倒産、その他にも木下工務店・・・マンション業界も長谷工や大京が、ゼネコンも熊谷組や佐藤工業が経営危機に陥るなどかなり激しい状態でした。
もちろん、金融機関もどんどん併合していきます。かつては都銀13行といいましたが、今ではそれが何銀行だったのかを思い出すのも苦労するぐらいです。
その頃、私のいたハウスメーカーも生産量はどんどん減っていきました。
※ハウスメーカーと言っても、殆どの部材はOEM生産なり、既製品を使うし、現場の職人さんは社員ではありません。(一部の大工さんは社員の場合もあります。)
その為、社員の給料を減らすのは当然ながら、外部への発注量もどんどん減っていきます。
また、平成のはじめ頃までは戸建には和室が1つか2つは最低でもありました。しかし、和室の需要が減り、和室の部材の発注量は追い討ちをかける様に少なくなっていきました。
私の勤めるハウスメーカーの創業時から支えてくれていた、表具屋さんへの発注量もどんどん減っていき、その表具屋さんはいよいよ資金繰りが厳しくなっていきました。
私はその表具屋への発注担当だったのですが、そこの社長と金融機関に返済日の延期を金融機関に行きました。私の勤める会社の戸数が回復すれば必ず、その表具屋さんに発注を依頼するという書面も持っていました。金融機関からは支店長クラスの方も出て、口頭ですが了解をしていただきました。
しかし、その約束は守られませんでした。
その社長は亡くなりました。
僅かな社員の退職金だけは支払うことができたそうです。
葬儀の日、その社長のお子さんに
「人殺し」
と、泣きながら言われました。
しかし、今ではそのお子さんも成人しています。ご結婚され、住宅購入の際には私にいろいろ相談があり、良いお付き合いをさせていただいています。
私は金融機関、特に銀行は、
「企業を育て守っていく」
本来の企業理念があるはずです。
しかし、今の日本の銀行はそんなことは考えてないと思います。もちろん保身で精一杯なのもわかりますが、企業としての目的を見失っているのは事実だと思います。
「儲かるところに投資する。」
ただ、それだけではないでしょうか?ユダヤ系の外資金融機関と何も変わらなくなっていると思います。
銀行というのは、経営を一緒に考えて、有効な資金活用を提案しながら融資するのが、本来の仕事ではないでしょうか?
その表具屋の社長が亡くなったのは銀行だけのせいだとは、もちろん思っていません。私の責任も少なからずあったと思っています。しかも、その約束を守れなかった、銀行も今ではありません。
次には抵当権解除を書くから・・・
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