不動産投資
よく電話で投資用のマンションの売り込みの電話があります。正直言って、良い度胸してるなぁ・・・と思いますが相手からはこちらの職業などは解らずに掛けてるでしょうから、仕方がありません。
そこで・・・
「同業者なんだけど・・・」
ここで9割方は諦めます。しかし・・・
「御社でやっている物とくらべて、うちの物は・・・」
と粘る営業マンがいます。
投資用分譲マンションの電話営業してる子たちに負けるわけもないので理屈でねじ伏せちゃうのですが・・・。
私は個人的には投資用の区分所有のマンションを買おうという気はまったく起こりません。だって、それ以上に美味しい物件がいくらでもありますから・・・。投資用分譲マンションというのは不動産のことがわからない人達が買うものだと思っています。
不動産投資もハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンです。
しかし、そのリスクをどの程度、自分でヘッジできるかは、その知識と経験に掛かっています。
だから、投資用の区分所有の分譲マンションは不動産の知識が無い人の投資物だと考えています。また、Jリートは不動産じゃなくて、株だと思っています。
私の持論ですが・・・
「不動産や建築は机じゃ勉強はできない。本当に知りたければ現場を見ろ」
です。ExcelでIRR関数などを駆使して収支計算をしたり、PMレポートを眺めている子たちも、少しは現場でリスクを感じてみてください。金融機関との交渉が上手くても不動産は見えません。
ちょっと、生意気だけど・・・
最近の利回りの下がり方
最近の投資利回りの下がり方は凄いなぁ・・・と思います。
私が平成18年にまだ、会社勤めをしていた頃、23区内の収益不動産を買う場合、住宅系の場合はNet6.0%、商業系やオフィス系の場合Net5.8%でした。これ以上のNet利回りだと、非常に稟議が通りやすかったです。つまり、これだけの利回りがあれば、転売リスクが少ないと考えていたからです。
当時、銀座の商業ビルで10億円以上、テナントの与信が十分にある、建物の遵法性が守られている、築浅などの条件が揃うと、3%を切る様な利回りで取引されていました。表参道や南青山、神宮前当りでも4%以下は当たり前でした。この様な市況ですから、私は5.8%ぐらいでしか稟議が通らないので3%台での勝負には歯が立たず銀座は買いませんでした。
最近、色々なところから話がありますが・・・
「表面利回りで10%以上回ってる物件があったら紹介してくれ」
というのが殆どです。つまり、最近の都内の物件の目線は表面利回り10%ということないなります。
これは、家賃が同等としても収益不動産の価格が単純に50~60%下がったといことになります。
先日、『空室率』でも書きましたがオフィスの家賃は相当、下落しています。
新築だけで言えば2年で30%以上は下落しています。
利回りは家賃から割り戻すので、開発用地などの値段は実質的には65~72%ぐらいの価格の下落ということになります。つまり、収益不動産として、新興系の不動産会社が転売してきた土地はこの1年半で1/3になってしまったということになります。
昨日、相続路線価が発表になり、青山辺りの下落が相当激しかったのはこの為です。
この感覚についてこれない、デベは相当苦しいことになりそうです。
早く下げ止まってほしいから・・・
技術者~収益不動産~そして現在までの経緯3
いつの間にか、立退きの話を4日も連続で書いてしまいました。私は立退きだけで100件以上をやっています。(100件ぐらいまでは数えていますが、それ以上は数えてません。)だから、この手の話を書き出すと、いくらでも出ます。地上げも同じです。しかし、あまり、本来、伝えたいことから離れると、いつまで経っても本題に戻れなくなりそうなので、先に本題から書きます。
(立退きの話が面白いというお言葉も頂戴しましたので、さっさと本題を書いて、続きは書きます。)
さて、本題に戻ります。
「ん?画像がない」
そりゃ、テキストで如何に表現力を・・・と言い訳をしてもしょうがないので今回は画像をいれてみます。
さて、私は『Dr.相澤の住宅情報館』のプロフィールにもある様にあるハウスメーカーに務めていて、その後、その会社の収益不動産部門に移動したところまでは前回、書いた通りです。しかし、私に転機がやってきます。私はそのハウスメーカーを辞めることとなりました。辞めた理由はいくつかあります。
決定的な理由はその会社が好きだったから、今、その会社がやっている事が住宅を作り、販売をしている会社とは違う方向に向かっているからという事だったと思います。
・・・と、その辺の感情的な話は置いておいて・・・私は不動産の景気が悪くなる『金融商品取引法』改正前に、14年間勤めたハウスメーカーを辞めて、不動産証券化を取り組む会社に移りました。一応、役員待遇で移りますが、やる事は殆ど変わりません。強いて言うと、新入社員の面接をするぐらいでしょうか・・・。
しかし、程なく、景気が大きく変わります。世界的にもリーマンショックとよく言われますが、リーマンブラザーズだっていきなり、潰れたわけではありません。色々な要因が少しずつ、押し寄せていったのです。不動産業界の流れを止めたのはリーマンショックではなく、金融商品取引法の改正でした。
平成19年10月1日、この日は私は忘れることは無いでしょう。不動産流動ビジネスに関わっている人は同じだと思います。バブルの時代の人にとっては総量規制と同じぐらいショッキングな出来事でした。
(総量規制を知っている、そこの貴方は昭和の人ですよ)
これによって、日本の不動産市場は大きく変わります。予想していた通りに・・・
そして多くの不動産会社が倒産していきました。
これ、私が取引していて、金融商品取引法、改正以降、今日までに倒産(会社更生法、民事再生法を含む)した会社の方々の名刺です。当然ですが私の移った会社に影響が無いわけがありません。私が転職した会社も、その後、間もなくしておかしくなります。(景気だけのせいでもないんですが・・・)
そして、私以下、殆どの社員がその会社を後にすることになります。
そして、私は、
『本来の自分の仕事に戻ろう。』
と、考えました。
ふっと、以前に自分が運営していたサイトを思い出しました。もう、何年も更新してないのに、見ていてくれる人がいるのでしょう。アクセスカウンターだけは少しずつ動いているようです。
『サイトをリニューアルしなきゃ・・・』
と、思いました。
前にサイトを管理していたときには住宅の技術屋として、みなさんに回答していました。しかし、私は技術だけではなく、不動産屋としての一面を備えて帰ってきました。しかも、そこらの不動産屋とは違います。立退きや地上げを含めるギリギリの最前線にいた不動産屋です。Excelと睨めっこしっていただけでもないし、電話営業をしていただけでもありません。本当に人と対話をして、毎日々々、現場を歩いていた不動産屋でありデベロッパーです。
ですから、建物だけではなく土地も・・・、所有権の物件だけではなく賃貸住宅にも対応できるサイトにリニューアルしていきたいと考えています。
技術者~収益不動産~そして現在までの経緯2
私は戸建の仕事から、少しはなれることになり、
しかも、戸建の仕事から離れていくのですが、その間に多くのことを学びました。
今までは自分が建物を作る側だったのですが、
始めて建物を発注する側になったということです。
例えば、大手ゼネコン(スーパーゼネコン)に設計を依頼して、
すっかり、その内容を信じていました。
これは、良いビルができると思って、その土地を買いました。
しかし、買った後に、その設計に大きなミスがありました。
そして、当初考えていた容積率消化が全くできないというものでした。
もちろん自分で調べればそのミスに気が付くだけの能力は私にもあります。
しかし、忙しいということもあるけれども、そのチェックをすることは
当時の私の仕事ではありません。そのチェックをするぐらいだったら
別の物件を探しに行くという日々だったのです。
そこで思ったことは・・・・
『別の設計事務所にチェックさせておけば・・・』
そのミスで私は稟議書の収支欄の修正をしました。
3億5千万円ほど・・・・
当初の想定利益より3億5千万円も想定利益が減りました。
別の設計事務所にチェックしてもらっても、せいぜい、20万~30万円だったのに・・・
ということでした。
これは企業が行うオフィスビルの開発の話ですから被害の規模も大きかったのでが
実際に戸建を建てる個人の方でも様々な被害はあります。
また、発注しておいてゼネコンの倒産などという経験も後にすることになります。
そして、土地を買うときの様々な問題点も実際に経験してみて
いろいろなことが解りました。
これについても、後ほど書いていきたいと思います。
この経験はこれから、質問への回答などに活かせると思います。
しかし、この様なビジネスは長続きはしませんでした。
サブプライム問題などが燻ぶっていることは知っていました。
姉歯建築士の偽装問題による建築基準法改正、金融商品取引法の改正など
市況は少しずつ悪くなってきていたのです。
また、この様なビジネスの土地の値段もほぼ限界に達していたのも気がついていました。
しかし、まもなく決定的な瞬間がやってきます。
そう、あの『リーマンショック』です。
続く・・・
技術者~収益不動産~そして現在までの経緯1
私は以前はハウスメーカーに勤めていました。
元々はその会社の住宅の技術者として仕事をしていました。
主に設計、積算、商品開発などなどと技術部門の中を歩いていました。
平成16年ぐらいから、不動産市場が活性化していくなかで
その会社も収益不動産の開発、転売に力をシフトしていきます。
ある日、私もその事業部に行くように言われます。
サラリーマンですから、断るわけもなくその事業部に行きました。
社会人になってから、殆ど戸建住宅しかやっていない私は
都心で商業ビル、オフィスビルそれに賃貸マンションの開発を
行うようになっていきました。
そして、地上げや立退きから、開発後のファンドの組成まで
殆どの業務に携わっていきます。
そうやって、戸建住宅の仕事からしばらく離れていくこととなりました。
その頃は土地の価格はどんどん上昇し、
物件情報も少ないときでも1日に10件、多いときになると30件の情報が
入ってくるようになり、それを処理するだけでも
大忙しでした。