リストラ ~第16話~
そんなこんなで3年の月日が経ちました。平成14年ごろになると、一方的な住宅不況という感じはあまりしなくなってきました。前年同月比の比較でもさほどの落ち込みは感じなくなっていました。
その時は
『去年より悪くなるわけ無いだろ・・・』
と言うほど、悪かっただけで、景気の悪いのに慣れてしまっていたのかもしれません。
平成12年ごろにITバブルと言われた頃に、一時的にマンションブームはあったものの、戸建はマンションほどの好景気はありませんでした。
しかし、その頃から、割安の新築戸建分譲住宅をやる会社が流行り始めました。
一つはトステムなどが展開したフランチャイズ系の会社と、仕様をかなり落としても安く売る、飯田産業グループ系の会社です。H建設と比較すると、建物代だけなら80%ぐらいの価格でした。
『安かろう悪かろうの家なんて売れないさ』
と、高をくくっていたのですが、それが正に団塊ジュニアの購買層に合致したせいもあって、売れに売れました。そんなこともあって、成功しているハウスメーカーと伸び悩んでいるハウスメーカーに二極化されました。この頃でしょうか・・・パワービルダーなどという言葉がよく言われる様になったのは・・・。
この年の6月の株主総会でR会長の退任が発表されました。理由は定年でした。
私も商品技術開発で4年目を迎え、その年度も下期に入りました。
規格型の新商品の開発などに追われて、新春の売り出しまでに新商品の開発をしなくてはならず、毎年のことでしたが11月を過ぎると忙しい毎日でした。
そんな忙しい毎日を過ごしていると、新規事業部のN課長から、メールがやってきました。エクセルのファイルが添付されています。
メールの内容は
『AX47のセルの式のせいか、どうしても循環関数と出てうまくいかないけど原因わかるか?』
という内容のものでした。
そこに使われている関数は『IRR関数』でした。この『IRR』はこの時、初めて見るのですが、この後、今日に至るまで、ずっと付き合うこととなります。
※IRR関数について
キャッシュフローとは、月や年などのような一定期間をおいて、必ず発生するものでなければなりません。内部利益率とは、一定の期間ごとに発生する支払い (負の数) と収益 (正の一連の定期的なキャッシュ フローに対する内部利益率を返します。個人年金などの投資では、キャッシュ フローの差し引きが 0 である必要はありません。ただし、キャッ数) からなる投資効率を表す利率のことです。
Microsoft Excelのヘルプより
って、これだとさっぱり解らないと思います。というわけで、一番解りやすそうなサイトを紹介しておきます。
http://www.nsspirit-cashf.com/inv_st/irr.html
こちらを読んでみてください。
まぁ、その時の私にとって、IRRなど、どうでもいい話でした。
とりあえず、N課長から、循環エラーが起こっているのを直しさえすれば良いと思い、ただ、それを直すのにIRRの意味が少し解らないと、直せなかったので少しだけかじりました。直すこと自体は30分程度で終わりました。
リストラ ~第15話~
時々、サラリーマン(雇われ役員を含む)時代は
良かったなぁと思うことが多々あります。
サラリーマンは言われたことをやっていれば、
会社が存続する限り、給料が貰えます。
もちろん、上司の機嫌を伺わなきゃいけない場面もあるし、
出来の悪い部下の尻拭いをしなければならない時もあります。
しかし、今にして思えば、極めて楽だったと思います。
サラリーマンを辞めることがどういう事かを知っていたはずなのに・・・。
後悔こそしていませんが、懐かしくは思います。
さて本題です。
前回までの話はこちらから
私は少し、落ち着きが無くなっていました。
なぜか入社時の配属命令を聞いた時の話しだけで30分が経過しそうだったからです。他の社員から、聞いていた話によると、今の部署に於ける業務の改善策等についての話がメインだったそうです。その類の話になると思って、準備していた資料なんかもあったのですが、全く出す余地がありません。
そうこうしている内に、現在の会社の問題点についての話になりました。
「相澤君はうちの会社の問題点はどこにあると思うかね?」
「当社は、新築住宅の売上げが95%以上を占めていますが、リフォームなどの非新築事業の売上げを伸ばすべきだと考えています。」
「ふむ、その理由はなんでだね?」
「今はまだ、人口も増加していますが・・・」
等と、第9話に書いたような内容の持論を展開しました。R会長も、それそのものには理解を示してくれました。さらに・・・
「しかし、このことを当社が真面目に考えているとは思えません。」
「どうしてかね。相澤君の考えていることを会社も考えているから、耐震リフォーム部を作ったんだよ。」
「失礼ですが、到底、結果が出せる部署には見えません。」
「ビジネスの結果は、新しい部署を作ったから、すぐに出せるというものではないよ。」
「いえ、私が言っているのは将来に向かっても、今の耐震リフォーム部のメンバーでは難しいと言っているのです。」
「なるほど・・・。他の社員から見ても、そう思うのかな?」
「恐らく、そう感じていると思います。もっと、悪い言い方をすれば、耐震リフォーム部イコール窓際族ぐらいにみんな思っていると思います。」
「そうか、改善策はあるかな?」
「昨年できたばかりの部署のメンバーを大きく入れ替えるのは難しいかと思います。しかし、M部長を役員に昇格させるなどして、耐震リフォーム部は窓際ではないことを強調するなどして、モチベーションを上げるなどの策は必要かと存じます。」
「相澤君の言うとおりだね。相澤君、会社の経営をしていく為に2つの権力が必要だがそれは何か解るかね?」
「2つの権力ですか?・・・わかりません。」
「人事と金だよ。しかし、今の私にはそのどちらも無い。」
R会長は少し肩を落としたように見えました。
「しかし、M部長に関してはR会長が社長のうちに役員にするとおっしゃっていたかと・・・」
「そうか、それをMに話したときに相澤君もいたか・・・。昨年の取締役会で、Mの役員昇格を提案したよ。今まで、私が人事采配を行ってきたことに対し、それまで誰も反対しなかったから、反対されると思わなかったよ。」
「では、取締役会で反対者が出たと?」
「I常務がMの役員昇格に反対してな。それで多数決になったんだよ。残念ながら反対多数でな。」
「理由はなんだったんでしょうか?」
「二つある。一つは私が社長を退いた後の役員構成を他の役員が気にしたこと。もう一つは、私が考えていた以上にMが他の役員に嫌われていたということだろう。」
私は、R会長とのやり取りで耐震リフォーム部が、他の社員が噂している様に窓際部署であることを再確認したにすぎませんでした。面接時間は3時間におよび、昼休みのチャイムで開放されました。最後にR会長から1冊の本を手渡されました。その時の本がこれでした。
- 新訳 経営者の条件 (ドラッカー選書)/P・F. ドラッカー
- ¥1,529
- Amazon.co.jp
次回は新規事業部の話です。
『リストラ』シリーズのリンク集
リストラ ~第1話~
リストラ ~第2話~
リストラ ~第3話~
リストラ ~第4話~(番外編「独り言」)
リストラ ~第5話~
リストラ ~第6話~
リストラ ~第7話~
リストラ ~第8話~
リストラ ~第9話~
リストラ ~第10話~
リストラ ~第11話~
リストラ ~第12話~
リストラ ~第13話~
リストラ ~第14話~
リストラ ~第15話~
リストラ ~第16話~
リストラ ~14話~
私はひたすら、特許や商標登録が取れるかを調査する日々が続いていましたが、やっと、それも終りそうになってきました。
その間に特許を19、実業新案を12、商標登録に至っては44を申請しました。ですから、実質上、3日に1回ぐらいの割合でなんらかのパテントを申請していたことになります。もちろん、実際に3日に1回行ってはいません。申請はある程度をまとめてしています。
そんなこんなで1年が経とうとしていました。
その頃のR会長は、若手の中間管理職を個別に会長室に呼んで面接を行っていました。ある日、人事部経由で、R会長が個人面接を私にも1週間後に行うという、お達しがきました。
R会長の面接の日がやってきました。事前にR会長との面接は一人30分程度だと、既に面接を受けた社員から聞いていました。私の面接は朝9時(始業時間9時)からでした。
私は普段から時間にはルーズな方で、今もそうですが遅刻をよくします。しかし、この日ばかりは30分前に会社に行き、5分前には会長室の隣にあった応接室で待機していました。
「相澤君、最近は忙しいのかな?」
「いえ、なんとか、パテント関係の仕事も目処が立ち、最近は落ち着いています。」
「では今日はゆっくり、話ができるかな?」
この日は会長面接ということもあり、午前中はすべてのスケジュールを空けておきました。しかし、ゆっくりと言っても30分だから・・・という思いもあり、
「はい、会長とお話できる時間をいただけて光栄です。」
と私は言いました。
会長はなにやら書類の入ったファイルを見ながら私に言いました。
「相澤君は総じて、どこの部署からの評価が高いね。」
「はぁ、そうなんですか?」
「そうか、この人事考課は君は見ていないから解らないな」
すいません。以前も書きましたが、自分の事を優秀とは書きたくないのですが話の展開上、そういうことにしておいてください。
「自分は自分の与えられた仕事をこなしているだけです。」
「あはは、相澤君らしいね。以前も君はそう言っていたらしいね。」
私はR会長とまともに話したことはありません。上司と一緒に稟議を持って行ったことや、役員会の席で特許を申請する為の重要性や予算について話た際にR会長から意見を求められたこと等はありましたが、二人で直接話す機会はありませんでした。
私がきょとんとしていると・・・
「相澤君がM部長のところから、去る時に『サラリーマンは「行け」と言われた場所に黙って行くものだと思う』と言ったそうじゃないか!」
それを聞いて、そのことが会長の耳にも届いていたんだと、その時、初めて知り・・・
「生意気なことを言ってすいません。」
「いやいや、生意気だなんて思ってない。最近の若い連中は「設計から営業に行け」と言えば、「じゃあ、辞めます。」だの「入社時との約束が違う」などと騒ぐのもいるが、相澤君の態度は正しい。そういう考えを誰に教わったんだ?」
「誰に教わったという訳でもないんですが、そういうものだと思っていました。強いて言うならば、私は入社直後にどこの部署に行きたいかを人事部に聞かれた際に『第一設計部』と答えました。人事部からは、『希望部署に入れてやる』と内示がありましたが、実際に辞令を見ると『第二設計部』でした。しかし、それは会社が判断することで私がどうこう言う立場にないと思います。もっとも人事部には『うそつき!』と内心、思いました、と同時に『第二設計部』って夜間かな?とも思いましたが・・・」
会長は大きな声で笑いながら・・・
「相澤君ははっきりと物を言うね!面白い。でも、それは人事部が約束できないことを言うのが悪いよな。」
「まぁ、人事部にも、その時の都合があったんだと思います。私が第一設計部でも第二設計部でも会社全体で考えればどうでもいい事だと思います。それにもう、随分前のことですから気にしていません。」
「それにしたって、相澤君にだって、この会社でこんなことをしてみたいと思うことはあるだろ。」
「それはもちろん、いっぱいあります。」
「じゃあ、第二設計部に配属と言われた時には頭に来ただろ。」
私は、会長面接って入社時の配属先の不満を聞いてくれるというか、聞き出すためのものなのかな?それとも、若い中間管理職の不満を聞くためのものかな・・・?それに『自分がなにをやりたいかを聞くのが普通なのに、まだこの話続くの!?』と思いながらも
「正直言うと、頭にきました。実際に当時、まだ現役だった、私の父にもその話をしました。」
「ほぉ、それでお父さんはなんて言ったんだ?」
一呼吸、なんて言われたかを思い出して・・・
「はい、『サラリーマンとはある意味、会社の奴隷だ。しかし、それも自分の選んだ道だ。会社の奴隷が嫌なら、サラリーマンにならないことだな。』と言われました。」
「なるほど、それで相澤君はお父さんになんて言ったんだ?」
「『じゃあ、自営業か、その会社で経営者になれば会社の奴隷にならなくて済む。』と言いました。」
「そうだな、それでお父さんはなんて言ったんだ?」
まるでR会長は私の父がなんて言ったのかを解っているようでした。
「はい、父は『経営者はな、社会の奴隷なんだよ。』といいました。」
「ははは!全くもってその通りだ!」
R会長は私にそれを言ったというよりも、どこか遠くに向かってそれを言っている様に感じました。
リストラ ~第13話~
人事発表からしばらくすると、私は、耐震リフォーム部のことや、新規事業部のことを気に掛けている余裕はなくなっていました。
今まで自分がやったことの無い世界の仕事をすることになったからです。
第12話にも書きましたが、それまでH建設は特許を取ったりすることは有りませんでした。というか、商標登録すら取ったことがありませんでした。
そこで、私に与えられた仕事は、まずはパテント関係の整理でした。
その時のH建設には法務部などはありません。もちろん、特許部もありません。それに特許も商標登録も取ったことのない会社ですから、それについて聞ける人は誰もいませんでした。パテントに関する独学が始まりました。
おかげで、私は今でも特許の申請や開発した技術や商法が特許に抵触するかなどが、ある程度解ります。もっとも、それが役に立つのは次の会社に行ってからになりますが・・・。
今までにH建設で開発された商品や技術の特許、実用新案で登録できるものを登録し、また、商標登録で申請した方が良いものがあれば、それも行うということでした。
また、それをやっているうちにあることに気がつきました。
自分がそのパテントを申請できるかを調べているうちに、すでにH建設が他社の知的財産権に抵触しているものがあることに気がつきました。実際にはH建設の方が開発したのは早いのですが、他社が特許を取っているなどというものもありました。この部署が立ち上がってから1年間は特許庁のホームページを見ることと弁理士事務所の往復という日々でした。
商品技術開発室に配属になって2ヶ月目のことでした。
平成11年6月の株主総会で役員が発表になりました。
大方の予想通りですが・・・
R社長→代表権の無い会長
I常務→代表取締役社長
ということになりました。
社内ではこれを前にして面白い(いや、多くの社員から見れば不愉快な)現象が起こっていました。
今までI常務に可愛がれていた社員に対して、やたらと仲良くしようとする管理職クラスの人が目立ちました。I常務はもともと、営業畑一本の人です。
建設会社はそうですが営業と技術系は往々にして仲が悪いものです。H建設は創業者が技術者であったことから、技術系の社員の方が重用されることの方が多かったので、技術系の社員は営業系の社員に対して、上から物を言う事が多い傾向にありました。
ところが、I常務が社長になるであろう憶測がながれたころから、やたらと営業系の部長職に挨拶に行く、技術系の管理職クラスの社員が増えました。
中にはロクに仕事もできないのに、I常務が社長になるであろうことを予測して、I常務直属の部署に異動を希望する輩もいました。
私は同期と昼食をしている時に言いました。
「あのF課長みたいなのなんて言うか知ってるか?」
「ああ、I常務に媚を売ってる課長ね。なんか例えがあるのか?」
「『廊下トンビ』って言うだよ」
「なんだそりゃ?」
「あいつ、用事も無いのにI常務のところに行くだろ。トンビは同じ場所行ったり来たりしているだろ。それに似ているからだよ。」
「なるほど・・・」
※厳密には廊下トンビの意味は微妙に違います。
廊下鳶
(1)〔(2)の意から〕特に用もないのに廊下をうろうろしたり、他の部屋をのぞいたりすること。また、その人。
(2)妓楼(ぎろう)で、遊客が相方の遊女が来ないので待ちかねて廊下を歩きまわること。
大辞林第二版より
このF課長、後に私が辞表を出した時の直属の部長です。(第1話
参照)
そして、社長は会長に就任する直前の全社員を集めた朝礼で
「私は創業者に依頼されてこの会社に来ました。創業者の意向をついで、この会社を今日まで、守ってきたつもりです。しかし、これからは少し景気もよくなるでしょうし、H建設の生え抜きの皆さんの力を併せて頑張っていってください。」
これがR社長が社長として社員に送った最後の言葉でした。
ふっ・・・と頭の中をよぎったことがありました。
そう言えば、R社長はM部長に・・・
『「来年、もしくは再来年の役員人事では君を新役員に推薦するよ」と2年前に言っていたけど、今回の役員人事でもM部長は取締役にならなかったなぁ・・・』
ということでした。
不思議には思ったもののそれ以上のことはあまり考えていませんでした。
その理由を聞くのはちょうど1年後のことでした。
リストラ ~12話~
H建設はもとも、木造の分譲住宅と注文住宅を両軸に仕事をしていました。販売用地の仕入れ、企画、設計、施工、販売も一括で行い、そのどれかを外注することは極めて稀な会社でした。リフォームもやらないことはなかったのですが、実際には、H建設の家を買ってくれたお客さんから頼まれたからやると言った程度で、本格的に業としていることはありませんでした。
また、それとは別に一部、木造のアパートや鉄筋コンクリート造のマンションを作る能力もありました。ただ、施工するだけではなく、その施工を依頼された方から頼まれて、賃貸管理などもやっていました。
しかし、いずれも頼まれたからやっているという感じで、本格的に業としてそれをやろうとは考えていませんでした。
それは、創業者の意向が強かったからです。
H建設の創業者はもともと戦後すぐにH建設を立ち上げました。
創業の理由は・・・
「自分は陸軍の工兵だった。工兵と言っても、軍の営舎や陣を作る部隊だった。そこで、建物を作ることを学んだ。そして、敗戦になり、東京に帰還してみると、焼け野原でみんな家を失っていた。自分には家を作る能力がある。だから、空襲で家を失った人に家を作ってあげようと思った。」
これがH建設の創業理由です。
ですから、H建設は、分譲住宅を行う為に土地を仕入れることはありましたが、不動産投資や不動産投機を行うことは決してしませんでした。ですから、バブル崩壊により、景気が悪化して売上げが減ることはありましたが、下手な不動産投資などは行っていなかった為に、それによって会社が赤字になったことはありませんでした。
また、R社長も創業者の意向を尊重して、決して不動産投資などは行いませんでした。
さらにH建設は、ある意味、物凄く御人好しの会社でした。自分達で編み出した工法は、特許を取らずに全て公開し、また、住宅金融公庫(現在の『住宅金融支援機構』)の基準などにも、H建設の工法を積極的に提案し、採用されていました。これにより、独自で工法の開発などができない、小さな工務店でも、公庫基準に従えば、ある一定の品質、技術を保てる家ができました。
ところが、独自の開発をしても、それを独占しない為に大きな利益をあげることがなかなか出来ません。
それでも創業者を筆頭に
「自分達は、自分達の作った家に笑って暮らしてくれることが幸せだ。」
という会社でした。
ですから、家を作ることだけしか出来ない会社だったのですが、なぜか『新規事業部』という部署ができあがりました。しかし、第9話でも書いた様に新規事業部という部署は殆どのメンバーが使えなさそうなメンバーでした。
リストラ ~第11話~
耐震リフォーム部はM部長が耐震リフォーム部長でした。
第9話でも書きましたが、私は『耐震補強』や『リフォーム』は今後の住宅産業の中で軸になっていく産業だと思っていましたし、今もそう思っています。その理由は第9話の通りなのです。
私の中では、大変重要な部署だと思ってたのでM部長の人選は正しいと思っていました。
また、『商品技術開発室』はとりあえず正式な『部』ではなく、準備段階は『室』としてスタートさせられましたが、この部署は最初から『部』としてスタートさせたことからも、それなりに会社が期待していたものだと私は思っていました。
ただ、一つの不安はM部長には殆ど営業経験が無いということでした。私が入社するはるか前にM部長がまだ入社2年目ぐらいの時に半年だけ、営業をやったそうですが、その頃のH建設はまだ、従業員が100人に満たない会社でしたし、また、入社2年目の半年間の営業経験では営業戦略を構築するだけの営業ノウハウは持っていないと思っていました。
故に、当然に営業部門から、それなりの社員が参謀に付くものと私は思っていました。
ところが・・・
蓋を開けてみると、商品技術開発室とは違う意味で驚くメンバーでした。
MM課長代理(M部長と同じ苗字)が役職的にはNo2でした。このMM課長代理は私より10年先輩です。大学も某国立大学の大学院を出ています。H建設の中では学歴も相当高い方です。ところが10年も先輩なのに役職は私と同じでした。それには理由がありました。うつ病で有給休暇の3倍ぐらいの日数を休みます。うつ病の理由も会社が無茶なことをMM課長代理にやらせているとか、パワハラがあったとかそういう事ではありません。どうも、突発的にうつ状態になるらしいのです。当然ながら、昇進は遅れていきました。
次がWA部長です。WA部長は社員のみんなは「部長」と呼んでいますが、実際には部長ではありません。単なる嘱託社員です。WA部長は65歳定年制度の延長などが世間で問題になりはじめたこともあって、この歳からH建設では60歳までで定年とした後も希望者には65歳まで嘱託採用するという新しい規則が設けられて、その第一号の方でした。昨日まで、「WA部長」と呼んでいた方を「WAさん」とも呼びにくく、どの社員も「WA部長」と言っていました。
このWA部長ですが、私が入社した時にはすでに『部長』でした。一応、営業推進部という部署の部長だったのですが、本部長は別にいて、担当部長という形でした。部下も一人もいませんし、実際になにをしている人か私には良くわかりませんでした。しかし、先輩から当時聞いた話では、その昔、D銀行から出向でH建設にきた人だということです。簡単に言えばD銀行に椅子が無くなった人です。
また、私の同期のS君がこの部署に配属されました。彼はそれまで現場監督だったのですが、私の同期の中でも、もっとも動きの遅いタイプの人でした。話してみるとそんなに悪い人間ではないのですが・・・。
彼の口癖は
「もっと、作りやすい家を設計しないから現場が困るんだよ!」
でした。
建設会社の方なら解ると思いますが、設計と現場というのは基本的には仲が悪いものです。
設計と言うのは現場を知りません。ですから机上(図面上)で出来ることは現場でもできると思っています。実際には出来ることが多いのですが、そのために必要以上の労力を要することもあります。
ですから、本当に優秀な設計は現場を良く知っていることで、本当に優秀な現場監督と言うのは設計者の意図をよく咀嚼して、現場サイドから、施工しやすい方法などを提案するものです。
しかし、彼はいつも設計を批判することしかしませんでした。
その他にも現場監督から召集された若い社員や、営業から招集された社員もいましたが、ほとんどが私の知らない社員でした。
私の目には、このメンバーで、耐震リフォーム事業を会社が本気で進めているとは感じませんでしたし、M部長を営業面で支える参謀がいるとは思えませんでした。
リストラ ~第10話~
私が行った商品技術開発室は想像通りか、それ以上のメンバーでした。
しかし、想定外だったとことが2つありました。
第一は、営業企画部のS部長が商品技術開発室の室長になると思っていたのですが、S部長は商品技術開発室にはいませんでした。S部長は第一設計部の部長です。S部長とは、その後に話すのですが、S部長も驚いていました。
「自分でも、新部署に行くと思っていたんだがな。」
「しかし、S部長は元々設計ですし、解りやすい人事だったのでは?」
「今、思えば誰も俺が新部署とは言ってなかった。」
「そういえば、我々は『別の部署に行ってもらう』と言われただけですもんね。」
※第4話参照
「ということだな。」
第二は、室長がU次長だったことです。U次長はその時は注文住宅などの設計をやっていました。以前はH建設が片手間にやっていた、集合住宅の営業だった時代もあります。もともとは設計部にいたらしいのですが、創業者に嫌われて、色々な部署を転々とさせられていました。しかし、U次長は、それを自覚していたのかどうかは解りませんが、どの部署でも大変明るいし、下の者には好かれていました。また、設計者としての能力は大変高く、管理職としての能力はともかく、U次長が設計すると必ず、お客さんは喜んでくれました。
U次長のネックはお酒を飲むと、訳がわからなくなることです。H建設の廻りにあるスナック等は殆どが出入り禁止でした。社会人としては如何なものかという部分もありましたが、そういう人間味が他の社員に好かれる点でもありました。
ただ、創業者にはあまり好かれてはいませんでしたが、I常務からはかなり気に入られていました。
この二点が驚いた点ですが他の主なメンバーは
まず、Y次長です。Y次長は普段は大変、大人しい人なのですし、後輩に対して怒ったりすることは滅多にありません。ただ、上役に食って掛かるところがあります。私が入社する前に創業者に食って掛かって、翌日、他の部署に異動させられたという話を聞いたことがありました。しかし、このY次長の同期にK部長、O次長それと前述のU次長を併せて、Iカルテット(IはI常務の苗字)と呼ばれていて、やはりI常務に気に入られていました。
次がKK課長です。KK課長はこれは設計部門のエリートです。誰からもKK課長は切れる人だと言われる人です。このKK課長の特徴は、会社がある無茶な課題を命令したとします。誰がどう見ても無理なことなのですが、それを適当にこなしてしまう点です。
例えば、その無茶な課題に10個のハードルがあったとします。誰もがその10個のハードルを越えるのは無理と思うとき、KK課長は5個しか越えません。
「それなら、自分にも出来る!」
と後で考えると思うのですが、そのハードルの選択が上手いんです。
つまり、会社がどのハードルを越えれば満足するかということを咀嚼して、その5個のハードルを越えることに全力を尽くし、残りのハードルは最初から捨てて掛かります。それにより、戦略的目標をちゃんと到達させることで、会社が満足するわけです。しかし、いつもこのやり方ですから、100%をこなすことが無いので、プロジェクトごとの会社からの評価は総じて80点ですが、そのプロジェクトを一覧にしてみると、その全てを戦略目標に到達させていること、そしてそれが、かなり難易度が高いという点から考えても、相当に評価の高い人でした。
実質上、私がナンバー4となるのですが、同格が1名いました。その同格がH課長代理ですが、これは努力の塊の様な人でした。いろいろなことを試すし、資格に関しても貪欲に挑みます。
ある日、
「新しい発想を生むためには右脳の働きが重要」
と聞いたH課長代理は、次の日から左手で箸を持つようになりました。効果があったかどうか解りませんが、何事もチャレンジする人でした。
他の若手社員も各部署でそれなりに、まずまずの実績のあるメンバーでした。
そんなメンバーで私はこの部署で3年を過ごすことになります。
次回は『耐震リフォーム部』について書きます。
後は女子パシュートしかチャンスが無さそうだけど・・・
リストラ ~第9話~
本稿のテーマは『組織』なのですが、組織というのは、なかなか難しいものです。
企業という組織は営利団体である以上、利益を追求するのは当たり前のことです。利益を得る為には『安く仕入れて、高く売る』『より多くの販売数を稼ぐ』の二つの方法しかありません。勿論、両立できればそれがベストに決まっています。
『安く仕入れて高く売る』ためには、安く仕入れた物を如何に加工するかの同業他社に負けない技術力が問われます。
『より多くの販売数を稼ぐ』ためには、同業他社との価格競争に勝たなければなりません。
ここでの難題は同業他社に負けない技術力です。
日本の製造業分野に於いては世界に負けない技術力は沢山あると思います。しかし、ある一定以上の技術開発は人間の生活レベルに於いて必要かどうかという問題に立たされます。
例えば携帯電話が良い例でしょう。
日本の携帯電話は世界レベルに於いて非常に優れたものです。しかし、世界シェアという意味では決して優れていません。これは日本の携帯電話の付加価値的性能が、利用者に受け入れられてないからに他なりません。私の携帯にも色々な機能が付いています。デジカメ、TV、FMラジオ、もちろんネットもできるし、ダウンロードしたのでドラクエもできます。使っていませんが、音楽も聴けるし、申し込めば、携帯で電車やバスにも乗れるし・・・。
ところが、ここまでの必要性があるかは極めて疑問です。
ただ、人類が技術開発をして売れる分野はまだまだあるのも事実です。医療薬品の分野や電気自動車などの環境産業が典型例だと思いますが、それ以外の多くの分野では、コスト競争が技術開発に勝っていく時代に変化していくと思います。
しかし、技術者は全局面が見えないまま、技術進歩を目指します。これはそれが仕事である以上、仕方がないことです。
組織の中でそれを理解してもらい、世に出すことは大変なことでした。
私が技術者だった時代に思っていたことは
『企業としての社会的使命を考えて、技術開発に臨む』
ということでしたが、企業としての社会使命は当時の私にとっては、その企業が社会的に認められる技術や商品を世に送り出すことであり、企業としての利益を最重要には考えていませんでした。
『利益は後からついてくる。』
ぐらいに考えていました。
しかし、重要なことは『必要な技術とコストバランス』であることが組織運営にとって重要なことです。
これは企業が大きくなればなるほど、重要になってきます。
本タイトル続編で久々にも関わらず前置きが長くてスイマセン。さて本題です。
私は、その会社が力を入れるべく新設した商品技術開発室に配属されました。
しかし、もともとあった部署ではありませんから、何から手をつけるべきかは全く解りませんでした。
また、私はこれからの住宅業界において新築の需要が減っていくと考えていました。理由は・・・
1.人口の減少。また、団塊ジュニア世代を住宅減税や、相続税の前倒し政策などで、需要の先取りをしたことから、新築の需要は全体としては減っていく。
2.当時、創設された住宅性能評価制度などで、住宅寿命の延長化などにより、建て替え需要の減少。
3.当時のバブル崩壊後、立ち直らない日本経済から見て、立ち直ったとしてもスパイラル経済になり、新築よりもリフォームによる住宅などの建築物という資産を大事にしていく。
という考えを持っていました。
今でもこの考えは殆ど間違っていないと思っています。
ですから、新築住宅の技術開発や新規の商品考案をすることが、自分のいる会社にとってメリットになるとは考えていませんでした。しかし、その事業をやっていく以上、誰かがやらなければいけない事だとは思っていました。
ですから、他の社員からしてみれば、エリートの集められた部署と思っていた様ですが、個人的には
『誰かがやらなきゃいけないから、仕方なく自分がやる・・・』
と言った感覚をもっていました。
(自分のことをエリートみたいに書くのは極めて嫌なんですが・・・話の進行上そういうことにしておいて下さい。)
そして、人事発表が社内の掲示板に張り出されたのを見て驚きました。
※当時は社内ネットワークがまだ完成しておらず、社内的な重要な決定事項は社員通用口の掲示板に張り出されていました。なにせ、タイムカードのあった時代ですから・・・。
M部長が『耐震リフォーム部』の部長に異動になっているのです。この部署も新規の部署です。
私の中では、今後の住宅産業は前述の様に将来的には変化していくと考えていましたから、M部長が『耐震補強』や『リフォーム』という、今後の住宅産業の主軸になっていくであろう部署の初代部長になるということは、正しい人選だと思いました。
『やはり、この会社は派閥やコネで人選をしない!』
と勝手に思いました。
ただ、私はその時には自分なりに納得して、『耐震リフォーム部』の他の社員の名前を見ていませんでした。また、私が配属になる『商品技術開発室』は本社ビルの最上階、『耐震リフォーム部』は別館1階でその部署に行くことは殆どありませんでした。
また、その時にもう一つ新しい部署が出来上がりました。
『新規事業部』
です。
「なんじゃ、この部署は・・・」
と思わず口に出してしまいました。名称を見て、普通に
『新しい事業をやる部署なんだろうな・・・』
とは思いましたが、メンバーを見ると・・・
責任者からして、どうしようもない部長です。次長もこれまた、出世に遅れた人。2つの課があり、その一つの課の課長もなにをしているんだか良くわからない人。と言った感じでした。
私はその部署のメンバーを見て
『窓際族って古い表現だけど、まさにこの部署のことだなぁ』
と思っていました。
ただ、よく解らないのが、もう一つの課の課長がN課長ということでした。
私の知る限り、このN課長は営業きっての切れ者です。私もそれまでに随分、一緒に仕事をしてきましたが営業の中堅社員の中では一二を争う人だと思っていました。
さらにI常務のお気に入りでした。
『ありゃ?なんかミステイクしたのかな?』
と思いました。
そんな、社内の辞令を見て、思ったことは
『自分は、明日っから、何すりゃいいんだろう・・・』
で、目の前にある自分の置かれた状況に精一杯でした。
この、3つの新しい部署に込められた、本当の意味を知るのに私は何年という時間を費やします。
久々なのに中途半端だけど・・・
日本型経営組織と家族間の殺人事件
大暴れしている亀井郵政金融担当大臣が経団連の御手洗会長との会談の一部をメディアに公開した中で・・・
「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」
と言いました。
これは家族間殺人のちゃんとした統計データを取って過去のデータと比較しているのかはかなり微妙だと思いました。おそらく、感情的に言っているとしか思えません。
しかし、日本は大企業と言わず、亀井大臣の言うところの『日本型経営』から離れていることは事実だと思います。しかし、それは外国系企業と同じ経済環境の中で企業が戦う為に仕方がなかったのかもしれません。
ただ、経営者は人を雇用する際にそれ相応の責任があると私は考えています。
プロ野球の選手や外資系企業の契約社員で物凄く高い年俸を貰って、結果が出せなければそれは、必然的に解雇されると思います。それは選んだ道がハイリスクハイリターンなだけです。しかし、企業の業績をどうやっても左右することができない、社員を生産調整の弁の様に扱うのは如何なものでしょうか?また、それに甘んじている契約社員も如何なものかと思います。結果としては、人を人と思わない経営者とその場しのぎで将来をちゃんと考えない人間の集合体が今の日本社会なのだと思います。